終戦後間もなく、GHQ係官だったポール・ラッシュは、かつて自身が教授通して教鞭をとっていた東京・池袋の立教大学を訪れて、その荒廃ぶりに深く落胆した。立教大学は戦時中、軍部や文部省の圧力で「キリスト教主義教育」の看板を下ろし、「皇国の道」による教育を強いられた。その契機となった「チャペル事件」を踏まえ、立教大が「学問の自由」を取り戻すまでの道のりを振り返ってみよう。
Source: ダイヤモンド
“日本フットボールの父”が母校を訪れて言葉を失った、立教大「キリスト教大弾圧」の爪痕 – 戦争と東京六大学~異論はどう封殺されたか
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