水野忠邦は「天保の改革」(1841~1843)を主導した老中首座(老中のトップ)だ。しかし、この改革は「質素倹約」を強引に押し付けるものであり、忠邦は反感を買って失脚した。一部では、忠邦を「逼迫(ひっぱく)した幕府の財政再建に挑んだリーダー」と評価する声もあるが、国許での振る舞いに目を向けると、やはり「名君」といえる存在ではなかったことが分かる。彼の本性は一体どのようなものだったのか――。
Source: ダイヤモンド
「天保の改革」水野忠邦の異常な出世欲、嫌われた老中の「カネにまみれた本性」とは? – 「バカ殿列伝」本当にいた困った大名たち